加熱する不倫報道ですが、つい最近も小室哲哉氏がスクープされ不倫自体は否定しましたが引退をするという事になりました。
今回は記事を出した週刊文春に批判が集まりtwitter等は炎上していますが、不倫のスクープが出る度その当事者がバッシングにあったり休業に追い込まれたりします。
公人や有名人とはいえ不倫はとてもプライベートな問題です。
本来は当事者同士や家族の間で解決するべき問題なのですが報道されると批判が集中します。
全く関係なさそうですがこういう報道が出る度に「パチンコ・パチスロ依存症が抱える問題と少し似ているな」と感じます。
今回はこういった不倫報道等のゴシップ記事の周りの反応をパチンコ・パチスロ依存症問題に置き換えて考えてみたいと思います。
ゴシップ記事は無くならない
こういったゴシップ記事が出る度にその当事者への批判は物凄い事になりtwitterやネットは炎上します。
どちらかというと小室哲哉氏の場合はスクープした文春側が炎上しているようですが、どちらにしても一旦火がつくと大勢の人で集中放火を浴びせます。
今回の報道の後、週刊文春(文春砲)のtwitterには「絶対に許さない」「廃刊に追い込んでやる」「人の人生台無しにまで部数がほしいか!」などなどアンチコメントが殺到しています。
しかし今後もこういったゴシップ記事は無くならないですし、スキャンダルを起こせば批判的な意見は殺到します。
どんなにパチンコ・パチスロ依存症問題の社会問題化が大きくなってもパチンコ・パチスロは無くならないですし、パチンコ・パチスロで人生を台無しにしたり他の人に迷惑をかけるような事があればパチンコ・パチスロ依存症は病気であるということを理解されないという事と同じです。
本来であれば不倫という問題は当事者間だけの問題です。
それなのにネットに書き込む人はまるで被害を自分が受けたかのような感じでアンチコメントを浴びせます。
本来であればパチンコ・パチスロ依存症はそうさせてしまうシステムやその存在自体にも問題があるはずです。
それなのにその存在自体よりもパチンコ・パチスロ依存症本人だけに問題があるような認識を持たれてしまいます。
なぜ回りが批判しているといっせいに批判を浴びせたり、本来の原因とは違う表面的な事で罵声を浴びせたりということが起こるのでしょうか?
これは人間がこれまで進化してきてた脳の過程に密接に関係してきます。
少しでも自分が持つ社会性に反する人をつるし上げたり、排除しようとする様な行動をとるようになっているのです。
社会性と快楽
その昔私たちの遠い祖先は集団でその村や家族、そして自分自身を守り子孫を残してきました。
まだ文明が無いのでみんなで協力しあうことで生き延びてきたのです。
一つの集団で協力しながら災害や天災から身を守り狩りをして生きてきました。
ただどのような時でもその集団の規律を守らなかったり仲間を犠牲にして生き延びようとする人はいます。
そのような輩が一人でもいるのは死活問題です。
普段生活をしているなかで少しでもおかしい行動や言動をとるものは早めにその芽はつまないといけません。
その頃から規律を乱す者、周りと違う者をつるし上げ排除するという事は行われてきました。
それは必然であり、種の保存のためには必要な行為です。
お互いでお互いを監視する事が生きるためには必要でした。
そしてよりそういった事を行うために脳も進化していきます。
監視する時、そういった者を見つけた時、またそういった者を吊るし上げたり排除する時、脳はそれを「快楽」と感じるように進化させます。
快楽があれば進んでその行為を行うようになります。
生き延びるために「快楽」という形で進化した脳。
それは今現在もしっかりと遺伝子に刻み込まれているのです。
いじめもゴシップ記事もパチンコもなくならない
特に「いじめ」という問題がなくならないのはこの部分がとても大きいです。
誰かをいじめている時やそのいじめに加担している時、祖先が監視をしたり逸脱者を排除する時のと同じようには脳は「快楽」を感じています。
本来そういう時、規律や道徳感、倫理感など「知性」でそういう行為を制御しますが、子供であればまだ知性は足りないですし、大人であればその結果の報酬やそのコミュニティから逸脱のリスクが大きい場合は当然のように「快楽」を優先します。
いじめによってどんなに痛ましい事故が起きても多少の対策を講じてもいじめはなくなっていません。
いじめている側は罪の意識が無いことが多いと聞きます。
本能のまま(生き延びる為)に「快楽」に沿って行動しているだけです。
そこが一番の問題なのですが、今後も「いじめ」を完全に無くす事は不可能でしょう。
この部分に関しては以下の本に詳しく解りやすく書かれているので興味のある方は読んでみて下さい。
それと同じようにゴシップ記事は無くならないですし、それに対して周りが吊るし上げるような言動もなくなりません。
その行為の善悪、その結果の損失などは関係ありません。
それは監視したり吊るし上げることに「快楽」が含まれているからです。
出版社も売上を上げなければいけません。
人々が求め続ける以上そういった記事を売り続けるでしょう。
同じくパチンコ・パチスロ依存症の方は依存症では無い方の理解を得ることはなかなかできません。
それはパチンコ・パチスロで家族やパートナーとの関係を壊したり自分自身を破滅に近づけるからです。
いくら原因がパチンコ・パチスロ台やギャンブルというシステムそのものにあってもそうでは無い人から見れば「打つ人」は一般的な常識から外れた人になります。
これだけパチンコ・パチスロ依存症が社会問題化しても一般的には「打つやつが悪い」というのが根本にあります。
パチンコ屋もメーカーも売上を上げなければいけません。
そしてその売上の大部分はパチンコ・パチスロ依存症の方の売上です。
パチンコ屋は依存症からいかに売上を上げるか考えるでしょうし、メーカーはいかに依存症を作り上げるかを考え台を売り続けるでしょう。
最近はパチンコをわかっている人からはパチンコ屋側やメーカーへの批判も多いですが、わからない人はまだまだパチンコ・パチスロ依存症の方への批判的な言動が多いです。
それはパチンコ・パチスロ依存症に対する認知や知識が少ない為に、批判したり排除するという快楽の対象がその本人に向くためです。
まとめ
パチンコ・パチスロ依存症ということをしっかりと受け止め克服を決意した時、一番心理的にきついのは理解されないと感じることです。
しかし上記のような理由で理解を得る事は難しいでしょう。
ただ、なぜ理解されないかを知識として得て理解し克服に励むとそれだけで一歩前進できます。
そして克服できた後も世の中には理不尽な事や理解されない事、悪がまかり通る事など沢山の事柄があります。
その時自分の助けになるのは知識や知性そして色々な物の見方だと思います。
もし今、行き詰っていたりしているならば、過去や失った物やパチンコ・パチスロだけにとらわれずに広く物事をみたり深く掘り下げてみたり少し違う角度で物事を見てみるとまた前進できると思います。
今回はゴシップ記事といじめという事を題材にして色々書きましたが自分の身の回りに起きている事や何気ない事にもよりよく生きるためのヒントや答えはある筈です。
パチンコ・パチスロ依存症の方が一日も早く克服し幸せな生活を送る事ができるよう祈っています。
小室哲哉氏の楽曲で一番好きなのは渡辺美里の「My Revolution」当時私は確か中学生でしたね・・・(苦笑)
若い人は知らない曲だと思いますがいい曲ですよ。
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