私を苦しめている一番の元凶である闇金を完済することに成功しました。言うなれば生活を立て直すチャンスを手に入れたのです。しかし問題の本質はそこではありません。さらなる地獄に進んでいくのに時間はかかりませんでした。
※この物語は半分フィクションですが出てくるエピソードは実際に体験したことです。
いやほとんど実話です。
名前や団体名、組織名等は仮名になってます。
読んでいて気分を害したりする場合がありますのでその辺をご了承の上ご覧下さい。
乳房
営業を終えて会社に戻ると、早速終了業務に取り掛かります。来週に迫った2件の新規顧客の導入にあたって準備しなければいけない仕事が溜まっていました。
当然残業しなければいけませんが、火曜・木曜・土曜はバイトがあるのでそれを考えると時間はギリギリになります。
しかし私はかえってヤル気になっていました。久しぶりに仕事に集中できる状態だったからです。
集中して仕事をしていると、ある種の気持ちよさが沸いてきます。それは結果に伴う達成感や賞賛に向かっていく感覚があるからでした。もちろん営業を回りその後も仕事をしなければいけない疲労感はありましたが、それを乗り越えた先にある気持ちよさに向かっていく久しぶりの感覚に酔っていた部分もあります。
集中すると時間の経過も周りの状況も見えなくなります。気がつくと周りの社員はほとんどいなくなり、時計の針は20時30分を示していました。
今日はバイトがあるため21時過ぎには会社を出ないといけません。集中してノッていた私はそれを考えた時、とても不快になりました。
そしてだんだんと腹が立ってきます。とてもイライラしてきました。私は気持をコントロール出来なくなり、集中力が途切れてきます。
本来ならば後30分ちょっと仕事が出来ますが、仕事がまったく進まなくなりました。気持ちの中には怒りが沸いてきます。私はなんとかその怒りを何かにぶつけたい衝動に駆られました。
しかしここは職場です。怒りの矛先を向けるものはありません。ここで関口が頭に浮かんできます。私は怒りを頭の中の関口に向けました。
関口はきっと社会の底辺です。髪は薄くてボサボサだし肩にはいつもフケがのっています。顔もしわくちゃで無数にあるシワは、敗北を刻んでいるようです。私は関口を想像だけで差別し見下していました。しかしバイトではそんな奴から指示され、バカにするような物言いをされています。
私はそれにいつも腹が立っていましたし、大きなストレスでした。そんな関口を頭の中で無茶苦茶に罵り、殴り、痛めつけることで何とか解消しようとしています。
言ってみれば自分の中にある攻撃本能を全て、想像した関口にぶつけています。
それでもイライラが収まらず、体が震えてきました。
何かをぶち壊したい、破壊したいというような衝動が全身を包んでいます。今誰かが目の前に現れたら無条件で殴りかかる位の状態です。
そんな時、後ろに人影を感じました。条件反射で後ろを振り返ります。自分では気付いていませんが、きっと睨みつけるような表情だったでしょう。
「はっ!ごめんなさい・・・」
「あ、いっ、いや・・・佐々木さん・・・」
「忙しそうだから、邪魔するつもりなかったの・・・」
「いや、いや大丈夫、だいじょうぶ。こっちこそなんかゴメン・・・。ギリギリだから集中しすぎちゃって・・・」
「あ、うん。ごめんなさい。これだけそっと置いて帰ろうと思ったのに気付かれちゃった・・・」
佐々木さんの手には、いつも私が飲んでいる銘柄の缶コーヒーにピンクの付箋が貼られ握られていました。
「あ、ありがとう・・・」
「あっ!」
その瞬間、ピンクの付箋が缶コーヒーからはがれヒラヒラと床に落ちます。佐々木さんは慌ててその付箋を拾おうと前かがみになりました。
その時、制服ではなく私服に着替えていた佐々木さんの胸元が大きく開いたブラウスの隙間から、ふくよかな胸の谷間と薄いスカイブルーのブラジャーが目に入ります。
その薄いスカイブルーは、明け方朝日が昇る前の、夜の闇の空から、朝の綺麗な空の色に変る瞬間の透き通った青と同じです。
その色は、夜の間は優しく照りつける朝日を包み込み、朝になると徐々にその太陽を見せつけるために存在します。
薄いスカイブルーのブラジャーは、朝日のように優しさがつまったふくよかな胸の谷間を包み込むために存在しているのだと思いました。
この瞬間、私の中にあるイライラと無意味な関口への殺意、そして全ての攻撃本能が吹き飛びます。
付箋を拾い、胸元を押さえながら体を起こすのを見て焦って視線をそらしました。
「じゃぁ、先に上がりますね」
「あ、うん・・・」
「うん?」
「い、いや、あの今度、落ち着いたらご飯でもどう?なんか、お弁当のお礼もしたいし・・・」
「・・・」
「え、アレだったら子供もいっしょでも・・・」
「フフ笑、大丈夫ですよ。チビは、ばあや見てるからあまり遅くならなきゃ大丈夫」
「そか。じゃあ落ち着いたら誘う」
「はい。待ってますね」
佐々木さんが帰った後、イライラも無意味な関口への殺意も私の中には微塵も残っていませんでした。私にあったのは、佐々木さんが醸し出す全てを包み込むような優しさです。その優しさに包まれ、今自分にある問題や不安や恐怖などの違和感を全て解決出来そうな気になっています。
と、考えたのは一瞬で、帰るまでの残りの時間、私の想像を支配していたのは、薄いスカイブルーのブラジャーに包まれたふくよかな乳房でした。
こんな時の男は悲しいほどに単純です。
バイトに行き、関口が運転する食べ物が腐敗した臭いやカビの臭いの車の中でも、妄想は止まりませんでした。食事に誘い、OKを出したということは、当然その先も考えられるのです。その妄想にワクワクしてとても気分良く道中を過ごしています。なんだか久しぶりの感覚でした。
いつもは何か言われる度ににイライラし、腹が立ち、殴り倒したい気分になっている関口に対する気持ちがウソのように穏やかです。
現場に向かう車の中、「きっと、おっぱいには争いを止める力がある」とぼんやり考えていました。
「関口さん」
「あ?何?」
「関口さんって、おっぱい好きっすか?」
「なんだ、おまえ」
きっとコイツは、わかっていないと思い、そう考えるだけで気分は良くなります。いつものように殺意はわきませんでした。
その昔人類が進化する過程で人間の祖先が四足歩行から二足歩行に変るころ、それまでオスに対するセックスアピールは突き出した尻だったのが二足で立つため目立たなくなり、その代わりに乳房が発達したと何かで読んだ記憶を思い出しました。
オスは命をかけて狩りをするため、おそらく全ての攻撃本能を”狩り”に向けていたはずです。メスはオスの気を惹くために、いったん狩りに向いた攻撃本能を吹き飛ばし、新たに生まれた攻撃本能を自分に向ける必要があったのです。
「きっと進化の過程で女性の乳房は、今ある攻撃本能を吹き飛ばす力と、新たに生まれた攻撃本能を自分に向ける力を宿したのだろうな」
とぼんやり考えます。
佐々木さんの乳房は、私の中に湧いてきた無意味な攻撃本能を吹き飛ばし、新たに湧いた攻撃本能を自らに向けさせたのです。
私は佐々木さんをすぐにでもどうにかしたいという攻撃本能でいっぱいでしたが、それが凄く真っ当な気がしてとても気分が良くなっていました。
レジューム
日曜日の誰も居ない事務所の中で、新規顧客への資料や導入当日の流れなどを作る最後の仕上げに入っていました。
佐々木さんとはタイミングが合わず、ほぼ顔を合わせていないのが気がかりでしたが、電話も鳴らず、周りのざわめきもなく、おかげで集中できるので仕事が捗りました。時間は21時を指しています。この一週間、2件の新規顧客の導入が2日連続で行われるとはいえ、バイトもある中、ここまで残業したのは久しぶりです。まだ安心できるわけではありませんが充実感がありました。
「よしっこれでOKだな」
最後のチェックを終わらせ明日の出張に備えようと思います。明日は出社した後すぐに出発し、昼に到着してすぐに導入の作業です。おそらく遅くまでかかるでしょう。そして翌日は朝からもう一社の導入の予定です。そしてさらにもう一泊して導入直後のイレギュラーがないかを訪問して確認してからこちらに戻ってくる予定でした。
中々のハードスケジュールでしたが、ビジネスホテルに2泊出来るためそれが楽しみでありました。
久々に風呂の心配をしなくて良いのと、ベットで眠ることができます。部屋を追い出されてから車の後部座席と健康ランドの硬い床でしか眠れていなかったのでそれが楽しみでした。
おまけに財布の中にはまだ5万5千円が入っています。しかも次のバイトの時には週払いの1万5千円が入ってくるのです。そしてその翌週は給料日です。現在自分の部屋がどのような状態になっているかが気になりましたが、何もかもが上手く行っているように感じてすぐにその不安を掻き消しました。
安心している私は、ふと考えます。
「スロット打ちてぇな・・・」
忙しかったこの一週間はスロットを打ちませんでした。いや正確にいうと”打てなかった”のです。これに気付けていない私はこの先何年も苦しむことになります。
守衛室に鍵をもどし、ビルを出た時には22時を回っていました。さすがに打つ時間もなく、疲れていた私はそのまま車を銭湯に走らせます。
銭湯を出た後、公園の駐車場に車を停め、後部座席に移動して足を折り曲げ横になります。窮屈で体が痛くなりますが、明日と明後日はベッドで眠ることが出来ると思うと我慢ができました。そしてその先には元の生活が戻ると信じています。
翌朝会社に着くと、久しぶりに佐々木さんが目に入ってきました。
「あ、おはようございます」
「あ、おはよう。なんか久しぶりな気がする」
「そうですね。遅く出社して、早く上がるシフトだったから」
「そうだったんだ」
私は辺りを見渡し誰もこちらを注目していないことを確認すると、メールアドレスを書いた紙を手渡します。
「これ、メアド」
「うん」
私は何だかいけないことをしている気になり、その場を離れました。しかし確実に自分の中に眠る攻撃本能が求めるものが近い気がしてとてもドキドキしています。
会社を出た後、すぐにメールの着信音が鳴りました。
”これが私のメアドです。ごはん、楽しみにしてますね!”
佐々木さんからのメールが来た瞬間から、攻撃本能は具体化されます。私の頭の中はあの日の場面でいっぱいになっていました。
現場に着くとすでにベンダーが導入の準備をしています。すぐに流れを確認し担当者と打ち合わせをして作業を開始しました。
作業は順調に進み、大きなトラブルもなく、思ったより早く終わりそうです。そして18時には全ての動作チェックが終わり全ての作業を完了します。
「いやぁ、あべさん。早く終わって助かったよ」
「はい、ありがとうございます。明後日まではこちらにいますので何かありましたらご連絡下さい。念のため問題なく運用できているか明後日はお伺いしますので宜しくお願いします」
「はい、わかりました」
何かしらのイレギュラーがあったり、トラブルでスムーズに行かないことを想定していましたが、ほぼ何もなく導入が完了できました。この分だと明日の現場も上手くいくでしょう。
現場を出た後、ベンダーと軽い打ち合わせをし、車に乗り込みました。ビジネスホテルに着きチェックインを済ませた後、一息つきます。
久しぶりにベッドに横になります。大きな至福が体を包み込みました。それと同時に早く元の生活に戻りたいという感情が沸いてきます。
しかし私はとても落ち着き、しかも気分が良くなっていました。なんだか最近は全て上手くいっているのです。2日続けてスロットで大勝し、闇金を完済できました。関口に対してもイライラしなくなっています。佐々木さんからは好意を寄せられている雰囲気です。おそらく食事に行けば想像しているような関係になるでしょう。異性からモテているというのは何よりも自信につながるのです。そして今日の仕事はほぼ完璧で、相手の担当者にはとても喜ばれました。
しかしこれには大きな落とし穴があり、そこは地獄への入り口でした。
2日続けて勝ったスロットはたまたま座った台で運?良く「勝てた」だけです。闇金を完済出来たのもたまたまということになります。佐々木さんは確かに好意を寄せてはくれてますが、私が想像していることとは全く違う思いでしょう。2件の新規を獲得できたのもタイミングが良かっただけかもしれません。今日の作業が問題なく上手くいったのもほとんどがベンダーの作業のおかげでした。
私はこれらのことを全て自分のおかげだと思っています。今まで苦しい思いをしたのは運が悪かったからだと思っていました。
久しぶりのシーツの感触を噛みしめながら、バッグのポケットに入っているチラシを取り出します。
前回出張に来た時に洋平が呼んだデリヘルのチラシでした。
久しく闇金の恐怖や苦しさとパチンコ・パチスロのことばかりだった私が、久々に性欲が抑えきれなくなり、不埒なことで頭がいっぱいになっていました。
間違いなくそれを呼び起こしたのは、薄いスカイブルーのブラジャーとそれに包まれた乳房です。
私は携帯を開きダイヤルします。
「もしもし」
「90分でお願いします」
「はい、ご指名は?」
「どんな娘いるの?」
「可愛い娘、ばっかりですよ」
「何分くらいかかるの?」
「ミキちゃんでしたらすぐにご案内できます。まだ入ったばっかりでとてもエロいっすよ」
「じゃぁその娘でおねがい」
「それではお名前とご住所は?」
名前とホテル名を告げ電話を切りました。久しぶりの行為に軽い緊張感が芽生えてきます。
待っている間、「とんでもない娘が来たらどうしよう・・・」と不安が頭をよぎりましたが無理やり「大丈夫!絶対可愛くておっぱいの大きい娘が来る」と思い込みました。
そうです今の私はノッているのです。ここでハズレを引くはずはありません。
40分ほどたち、すこしウトウトしかかった時に部屋のチャイムが鳴ります。
”ピンポーン”
急いでベッドから飛び起きドアを開けると、髪が金髪の女性が立っています。
「しつれいしまーす」
胸は期待していたほど大きくありませんでしたが、スタイルは悪くなさそうです。そして顔を確認しようとお互い視線をあわせた時、一瞬にして今いる場所だけ空間がねじ曲がったような感覚に陥りました。
そして二人同時に声をあげます。
「えっ!・・・」
「あっ!・・・」
62話終了です
この頃の私の大きな失敗の一つです。調子が良い時にこの先不幸なことは一切起こらないと勘違いしていました。そして良いこと全ては自分の実力の運のおかげという勘違いをしています。そしてネガティブなことは全て、社会のせいや他人のせいにしてさらに運が悪いからと思っていました。どんなに状況が悪くても自分と向き合うことを一切しなかったのです。
理由や根拠なく勝てることや良いことが舞い込むことはありますが、理由や根拠なく負けることやネガティブなことが続くことはほとんどありません。
そしてこのツケは大きく育ち私の目の前に現れるのです。
あ、それと最後の場面は・・・。
まだまだ続きます。
63話↓
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